東日本震災の時に、とても精神的にダメージの大きいことがあり、全く被災地へ支援に行けなかったことが、ずっと後悔だった。

今回は、大好きな友人たち、大好きなゲストハウスが被災するという事態に行動せずにはいられなかった。もう口ばっかりや嫌だと思った。

交通手段がぎりぎりまで確保できず(取っていた新幹線のチケットが、路線復旧の見込みが立たず使えなくなる状況になり)、ぎりぎりまで迷ったけれど、どんな手段でも行こうと思った。

そうしたら行く直前に新幹線が一部復旧。やっぱり行けってことだよね。

新幹線のチケット売り場、博多のゲストハウス、福岡の友人、いろんな人に「来てくれてありがとう。熊本をよろしくお願いします」と言われて、九州はチームだと再認識する。

 

旅装備から、ボランティア装備に着替えて博多駅へ。

 

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事前に集めた情報では、県外の人も受け付け可能な熊本市のボランティアセンターが、受付開始の9時時点ですでに700人待ち。

昨日は1000人で打ち切ったとのこと。4-5-時間待って、20分ほどしか支援に参加できない方もいたそうです。
私は宇城市のボランティアの事務局の人に会えたので、熊本市のボラセンには行かず、宇城市へ、避難所の設営にあたります。

 

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宇城市は、熊本県の南の方、最大震度で6強の揺れがあった場所

 

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宇城市の状況は、赤紙を貼られた立ち入り禁止、黄色い紙の貼られた制限つき出入りの建物が多かったです。これまで普通に住んでいた「家」が、いきなり立ち入り禁止になった人たちの気持ちを思うと苦しいです。

立派なものであったと伺える瓦屋根にブルーシートが被せられている建物も多くありました。余震で崩れ落ちる瓦、雨から守るものがなく、家の中にできる水たまり。

 

私がお手伝いしたのは、新しい避難所の設営。これまで使っていた学校などの施設が使えなくなるため、避難所の移設と縮小が行われています。

 

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畳を敷き、掃除機をかけ、から拭きをし、清潔にしてから被災者のかたを迎え入れます。組立式の段ボールベッドやパーテーションを作り、食糧を分配するターミナルを作ります。
被災者へ向けた案内板を設置します。

 

避難所には私が思った以上の情報や、人が集まっていました。

自衛隊、NPO、リハビリセンターからの派遣、自治体職員に、県外からの市議の視察などなど。

 

天井が落ち、立ち入り禁止になった図書館から、一部救出された本を持ってきた図書館員さんもいました。子供たちがとても嬉しそうだった。

 

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鉄筋の建物が少ないのか、新しい避難所に選ばれた施設の周りには何もありません。孤立してしまうんじゃないかなとも思います。
早くみなさんに「我が家」が戻ることを願います。

 

頑張って熊本、頑張ってチーム九州。