国立近代美術館のコレクションを紹介する国立5館による合同展、「NO MUSEUM, NO LIFE?」に行ってきました。
美術館をとりまく様々な要素をアルファベットのA〜Zで表現。つまり「美術館に関するAtoZ」。

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国立5館とは、これらの美術館になります。
・東京国立近代美術館(東京)
・京都国立近代美術館(京都)
・国立西洋美術館(東京)
・国立国際美術館(大阪)
・国立新美術館(東京)

写真撮影が可能だったのでいくつか載せますね。


これだけ多様な美術館から、美術品を集めているので、多様なことは間違い無いです。ただ、一つ一貫したテーマのもと展示がされているといっても、美術品としてのテーマというのとは少し違うので、個人的には落ち着かなかったですし、なんだか逆にまとまりがないように感じてしまいました。

社会科見学的に観に行くのはいいと思いますが、がっつりアートを鑑賞したい人には少々物足りないと思いますので、同時開催の所蔵作品展「誰がためにたたかう?」も行かれることをお勧めします。

ひとつ面白かったのは、日本と海外の美術館での年間の収益のグラフ。美術館事業での収益の差に驚きました。日本の美術館は国のお金で賄われています。

美術館の維持運営のためにも、良質なコンテンツや、ワクワクするような企画、つまりキュレーターの力が必要になってきていると感じます。

展示の中「C」のコーナーではキュレーションのことに言及しており、このように書かれていました。

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“近年、インターネット上の情報を収集/選別/整理し、そこに何らかの価値付けや文脈形成を行う作業が「キュレーション」と呼ばれている。(中略)

今日の美術界において「キュレーション」といえば、何よりも「展覧会をつくること」を指す。様々な美術館やアーティストと交渉し、、作品を選定して集め、美術家館やその他の場所での展覧会を組織し、それをつうじてなんらかの思想やテーマを提示し、新たな価値形成や文脈創出を行うことーそれがキュレーションであると。

こうした見方は、特定の美術館に所属しないインディペンデント・キュレーター、あるいは「展覧会制作者(エキシビジョン・メーカー)としての地位を1960年後半からいち早く確立したハラルト・ゼーマンらの台頭以降に生じたものだといっていい。

そしてそんなキュレーションという概念がいまやアートの文脈を離れ、情報社会の鍵ともなっている。このような「キュレーションの時代」にあって、美術館はどうあるべきだろうか”

キュレーションだけではありません、いまの情報過多の時代には、コンテンツのキュレーションそして最適な見せ方を実現する「編集」が必要です。その編集の観点が、今回の展覧会にもっと欲しかったなと思いました。

 

「NO MUSEUM , NO LIFE?〜これからの美術館事典〜」

会期 : 2015年5月26日(火)−9月13日(日)(月曜休館)
時間 : 10:00 ─ 17:00 (金曜は20:00まで)
会場 : 東京国立近代美術館 →googlemap
URL :  http://www.momat.go.jp/
料金 : 一般1,000円 ※詳細は美術館HPへ
交通 : 東京メトロ線竹橋駅より徒歩3分