春の投稿中。桜って、1週間タイミングを逃しただけで、すぐに姿を変えるから、毎年バタバタと撮りにいってる。

昨日、ラジオで「SWEET19BLUES」が流れていて、何も見ないで全部歌えた自分にびっくりして、あの時遊んでた友達に久しぶりに連絡したくなった。

「ねぇ、アムロちゃん引退するってよ。集まらん?」って。
私が中学生の時「コギャル」のお姉さん達を見て、自分たちが高校生になったら「孫ギャル」が出て(「女子高生終わった」的な流れがあった)、スミスのルーズからラルフローレンの紺ハイソになって、紺ルーズが登場して、他校のバッグを持つようになって(法政の付属校のやつとか)、ショッパーをサブバッグ代わりにした。

ポケベルの早打ちができた中学生時代、高校入学と同時にピッチ、あっという間に携帯に持ち直し、初めての端末はJ-Phone。
高校は新宿。校則はほぼなかった。面白い人やおしゃれな人は雑誌より先に学校や街にいて、色んな自由をまとってた。渋谷じゃなくて新宿が生息地帯だったけど、都心で高校生やっててほんと面白かったと思う。
情報は欲しいと思えばどこにでも転がってた。噂になるものはすぐ近くで手に入った。

でも、そういう時代でも、うちの高校の子たちは、みんなどこかで足を踏み外さないようにしている感じがあった。浮かれきれないと言うか。
都心の公立高校だったからかは分からないけど、本当に多様な背景の子たちがいて、これからを生き抜く大変さを、周囲の環境や親から見ていたように思う。

例えば、親が離婚しているおうちは多かった。親が失踪とかもいたな。
ご両親どちらかが官公庁につとめていて、行く大学を指定されている子もいた。
実家が商売をしていて、大学ではなくて専門学校へいくことが決められている子もいた。

荒唐無稽な将来を描けるほど子供でなく、かといって自分たちのことを自分たちだけで決められるほど大人でもない、そういうのがこの「高校生」というモラトリアム。
拠り所がない風船のようだけど、だから逆に「何者のでもなく、何色でもなく、自分たちは自分たち色。」そう宣言できた。そうすることで、いまを謳歌しようとしてたのかも。
「今しかできないことがある。」
それが、1990年代の高校生だったかもしれない。

 

 

(投稿文は8/27のもの)

Copyright:Yuri Ito @yurio_it

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