はい、もう暑かったのでフラフラです!
ここヴィガンで一番見たかったもの、それはスペイン建築がたくさん残るメインストリートの夜景。
日が暮れ、暖色系の照明で統一された通りの美しいこと。
そして、朝や昼間には全く気づかなかった飲食店が、通りにベンチやテーブルを出し、オープンテラスの席をセッティング。
これが最高じゃないわけないでしょう!
ここでこの街の由来と日本との関係を少し。
ここヴィガンはかつてスペインに統治されていた時代に海外との貿易拠点となり栄えた街。
これまで写真で見てもらった通り、建物の雰囲気はスペインだけじゃなく、中国や、あとはラテンアメリカの影響も受けて多国籍。
こういった街並みは以前マニラやセブにもあったらしいのですが、太平洋戦争の時に失われてしまったそうです。
そういった中で遺されているビガンのこの景観はとても貴重なのです。
ヴィガンの街並みが遺されているのは、太平洋戦争当時、ヴィガンに駐在していた日本人将校の尽力によるものという話があります。
戦時中、アメリカ軍は日本軍撃退のため、フィリピン各所を次々と砲撃。街が跡形もなくなることも多くあったそうです。
当時ビガンには、高橋さんという大尉が率いる部隊があり、現地の人たちと友好的な関係を築いていたそうです。
高橋大尉は現地の女性と結婚をして、家庭を持ち子供にも恵まれていたそうです。
しかし戦況は悪くなり、明日にでもヴィガンがアメリカの砲撃をうけるかもしれないという状況になった時、大尉はヴィガンの街から撤退することに決めます。この先は安全が確保されると限らないため、奥さんや子供は残すことに決めて。
大尉は、懇意にしていたドイツ人神父に、日本軍の完全撤退とヴィガンの街の砲撃をやめてくれるようアメリが軍に伝えるようにお願いし、街を去ります。
その後大尉の部隊は全滅したと言われています。
日本には長く国内で閉じた文化があり、歴史の系譜や古い建築を敬う国民性があると、私は思います。当時の高橋大尉も、直感的にこれは後世に遺すべきだと思ったんじゃないかな。
もしかしたら、それを理由に、とにかく家族を守りたかったのかもしれない。
そんな風に日本とのつながりをもつヴィガン。
初日は暑さに慣れず、だいぶグロッキーでしたが、評判の「カフェレオナ」でサンミゲルビールと4種のチーズピザをいただき大満足。
大きなピザと、鳥の揚げたやつと、サラダと、ビール3本で1,000ペソくらいでした。
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