例えば、あなたに、
愛しているひとがいます。
そのひとが何か重大な失敗をしました。大切な責任を放棄しました。誰かをひどく傷つけました。道徳に背いた行為をしました。

そのひとを愛しているとしたら、その時のあなたがすることはひとつ。
「赦す」こと。
そして愛した責任を全うすることだと思う。

愛はきっとそれくらい人間の深い場所にあるものなんだと思う。

世界人権デーに行われたノーベル平和賞の受賞式。
そのスピーチをずっと読みながら、そういうことを思った。

おそらく、平和を願い前に進むための「赦し」というのが世の中にはあって、それには大きな責任や覚悟が伴う。その責任や覚悟は、最終的には愛によってしか全うできないんじゃないかと。私は、そう感じた。

もちろんその反対の「赦さない」ことが必要な時があると思う。その意志の根底にあるのも、責任や覚悟だと思う。そしてそれも愛によって最後まで全うされるものだと思う。

日本は決して褒められることばかりをやってきたわけじゃないけど、その延長上に今の自分がある。

私の祖父は軍用兵器の管理をする部隊にいて、その兵器でたくさんの人が亡くなった。望まない戦いへたくさんのひとを送っていった。(祖父から戦争の話を聞いたことはない。)
私の親戚はたくさんの人が戦場へ行って亡くなった。亡くなった人の大切な人たちは、たくさん泣いたと思う。

生きて帰ってきた祖父たちがいるから、私がいる。
東京で空襲をあって死に物狂いで逃げ回って生き延びた祖母がいるから、私がいる。
米軍の当初の予定どおり北九州の小倉に原爆が落ちていたら、私の祖母も母もいないと思う。もちろん私もいない。

私はその延長上にいる。私はみんなの命の延長にいる。
その自分は、心から平和を願ってる。
そういうことが、大事なんじゃないかと思う。

ノーベル平和賞の日は、自分にとっての平和を考える日でした。
私にとっての平和は、「命をつなぐこと」、のような気がします。