チームラボがシンガポールのミュージアムで常設展を構えることとなった際、代表の猪子さんがこの人のことを話しているインタビューをみてすごく印象的だった。
今年の3月に亡くなったシンガポール建国の父、リー・クワン・ユー元首相。
イギリス領時代の1959年から、独立後も1990年まで首相を務め、わずか面積715平方キロメートル(淡路島とほぼ同じ)の小さな都市国家シンガポールを、世界でトップクラスの豊かな国に押し上げた人。
天然資源の欠乏や水源の乏しさ、国防能力の脆弱さなど様々な難題を抱えたシンガポールの生き残りがマレーシアとの合併だと考えていたリー氏、その思いは実現するも、人種間の対立が激しさを増し連邦は短命に終わります。
これは、シンガポールの独立を発表するテレビ中継の映像です。
唇を噛み締めながら流す彼の涙は、マレーシアとの合併運動で同志であった盟友から突きつけられた事実上の追放宣言によるものだと言われています。
“私にとって、今は苦渋の時です。生涯、私は二つの領域の合併と統一を信じてきました。
私リー・クアンユーは、自由と正義の原則、多くの人々の福祉と幸福の探求、平等な社会を築くことに基づき、本日1965年8月9日にシンガポールが永久に主権民主主義ならびに独立国家であることを宣言いたします。”
時間が経たないと分からないこともあると思いますが、この時、絶望の中にいたリー氏はどこまでシンガポールの未来を信じていたでしょうか。
この時何を信じて、彼は再起できたのでしょうか。
今では、識字率100%、住宅所有率90%、建国50周年を迎え、その成長に世界から羨望の眼差しを向けられるシンガポール。
明確なビジョンを持っていると評価されつつ、独裁者と言われた側面も持つリー氏ですが、この都市の成長を見ると、困難と絶望を乗り越えてやり抜いてきたとてつもない力を感じます。
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