「TRUNK」、それから「多様性のお祝い」の話。

 

今回は、TRUNK「開業準備室」の見学ついでにgreenz主催のイベントに参加してきました。greenzのイベント久しぶりだけど、やっぱりいつも新鮮で嬉しい。

テーマは「Bioneer」「アクテビズム」。(「Bioneer」はBiological(生物学の)とPioneers(パイオニア)を掛け合わせた造語です。「アクテビズム」は社会や政治の課題に対して意志をもってその変革のために行動すること。)

 

ゲストの方を迎えたトークイベントの中で、「多様性のお祝い」「Social Justice」という話がありました。
(どういう概念、何が起きているのかは、ご興味あれば調べてください。)

 

つまり、世の中の問題は、その多くの部分で、【自分と違うものを受け入れられない】、それぞれが個別にもっている常識、持っている文化・伝統と違うものを【普通じゃない】とし、それにとらわれているために起きている。

自分の存在を否定されることへの恐れが、「違うこと」への恐れになるのだと思いました。

それが、結果価値観の暴力になってしまう。

 

でも「あれ」って、自分の考えたことに、違和感を感じた。

「多様性を受け入れる」を考えるときに、【違うことを受け入れる】という考え方をすることが、もしかしたら違うのかもしれない、と。

この考え方は、違うことが前提なのよね。

 

人は本来「固有」のもの。違うのではなく、「そう在る」だけ。それは誰しも同じなのだということ。

違いは、後からつけられたものなんじゃないかな、と。または、社会が作り上げたもの。

 

恐れがある人と、ない人の違いは、それを「知っている」かどうかだけなのかも知れない。

そのひとが「どう在る」のか、「個」として尊厳をを持って存在することは、みんな等しく、同じ。

 

「そのひとは、その人そのものでしかない」

それを社会の価値の中心に置けるようになると、いいなと思う。

 

でも、そんな、ただまっすぐあればいいだけのことが、なかなかできない社会なのだと思う。

 

●Bioneer
ーサイト
http://www.bioneers.org/
ーgreenz 記事
http://greenz.jp/2016/09/07/bioneers_2016/

●green drinks
http://peatix.com/event/223242