Facebookのタイムラインで、2011年の3月11日以降にやってたことをソートして見ていて。当日のことは本当によく覚えているのだけど、以降何をしていたか、改めて日付を追って思い出そうと思いました。というのも、木曜日偶然にも震災の話が複数人から出たもので。
あるメディアのお仕事でインタビューした仙台出身のゲストハウスのオーナー、本業のクライアントである茨城の会社の社長・会長。

本業で私が担当している茨城県つくば市の会社さんは、従業員2万人くらいで、北関東を中心に展開している小売企業。被害の大きかったエリアにもお店があり、3.11はとても大切な日。働く人、お客さん、地場の取引先さん、多くのひとに大切な日。色んなんものが壊れて、なくして、一人ひとりの従業員の力が試された3.11を経験しています。

自分の体験を話した時に、社長に「それは辛かったね」と言われて、苦しい経験をした企業のトップの方と気持ちが共有できてよかったと思いました。
友達や家族以外にも、こうやって色んな人と話し、思い出すことは大事だと思った。

3.12の写真「家に帰るのが恐くて、とりあえずコーヒー飲んでる。先に帰宅した同僚の惨事を聞いて、無駄に不安を増長中。」

3.12の写真「家に帰るのが恐くて、とりあえずコーヒー飲んでる。先に帰宅した同僚の惨事を聞いて、無駄に不安を増長中。」

「家に帰ったらガラスが全部割れていた」という先輩がいて、家に帰れなかった。
怖がる後輩を家まで送ってあげた、でも自分も怖かった。
SNS上でネガティブなことを言わない自分が「不安でどうしたらいいか分からない」と言ってた。
電車が本数制限されている中、時間をかけて実家に帰ったら、小学校の頃の防災頭巾を母親が渡してきて「死ぬよかいい」と言ってきた。
細かな計画停電で、毎日東電のリリースを見ていた。
友達の実家が流されたと聞いた。
いきなり大量に同僚が辞めたり、会社が空っぽになった。
初めて渋谷の街が真っ暗になるのを見て震災の影響を実感した。
明るいことの、光があることの安心感を実感した。こんなにも心を支えるものなのかと。
余震がとにかく怖くて、玄関のチェーンが掛けられなかった、深く眠れなかった。

今体験する地震は、東日本震災以前より全然怖い。

3.13の写真「ゆうひ。実家から経堂に戻ってきた。」

3.13の写真「ゆうひ。実家から経堂に戻ってきた。」

あの時の怖かったこと、悲しかったこと、辛かったこと、ありがたかったこと、がいまの私の根底にあると思う。
そして行き着いたのが、
「日本をもっと知って好きになろう」
「いっぱい旅しよう」
「私の時間とお金を日本に使おう」
「日本人にもっと日本を好きになってもらおう」
「旅してもらおう」
なんですね。

大きな形にはまだなってないけれど、丁寧に、自分の一生をかけて、一歩づつでも、誰かにそれを伝えられたらいいなと思います。
私の持ち物、「写真」と「言葉」でできるだけ伝えられることを。

それに、旅をすることなら、企業の経営者じゃなくても、事業を興すとかそんな大きなことしなくても、社会起業家にならなくても、みんなができる。みんなができるから、きっと大きな流れをつくれる。

そういうのがいい。みんなで、できることを、会った人に伝えていく感じ。

3.11、みんなはどこで何をしますか。誰と話したいですか。

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3.16の写真「光があるから、安心する」