本島へ戻って、今帰仁村を目指して北上。
途中で、読谷村のゲストハウスに宿泊。この時は、いつもの「月と海」よりもう少し海に近い「LIFE IS A JOURNEY」に泊まりました。
宿の前は大きな干潟。夕陽が鏡面になって、とても美しい景色。
このゲストハウスで働いていた友人は、「考え事をするのにいい場所」と言っていた。
読谷村は、日本で一番人口が多い村。生活の機能がちゃんとあって移住者も多い。
読谷村~恩納村の海岸線は、ダイビングのスポットや美しいビーチが多く、観光客で賑わいます。
青の洞窟(本島の)で有名な真栄田岬、万座毛周辺など海が綺麗なのは有名ですが、さらに58号線を北上するこの本島の西側エリアは、どこも夕陽がきれい。
サンセットビーチとしても人気のエリア。
読谷村には沖縄本島で一番最後に夕陽が沈む場所、残波岬があります。
もう何度目かわからない残波岬の夕陽チャレンジは、今回も曇り空。
実は沖縄本島は、晴れの日より、曇りと雨を足した日の方が多いのです。
いつか本当に自分が納得できる残波岬を撮りたい。
読谷村の観光は、白浜と夕陽が美しいビーチのほか、琉球王朝時代の遺跡として有名な座喜味城跡(世界遺産)、やちむん(焼き物)の窯が集まった「やちむんの里」があります。
そして戦争遺産として遺されている、”シムクガマ””チビチリガマ”があります。
”ガマ”とは、米軍が沖縄西側に上陸したあとの地上戦の際、住民が身を隠す場所として使っていた場所。
洞窟の入り口のような大きな洞穴で、自然の地形を生かしてつくられた避難所です。
雰囲気に圧倒され撮るのが憚られたので、写真はないのですが、説明のボードの写真を掲載しておきますね。
ここ読谷村でも多くの方が戦争で亡くなっています。
また、ここは沖縄本島最大の米軍基地である嘉手納基地(嘉手納飛行場、嘉手納弾薬庫地区など一帯)にも一部隣接。
弾薬庫がある森林地帯は、58号線を挟んですぐ隣にあり、トリイ通信施設は村の入り口にあります。
番所の観光案内所のおばちゃんに、「夜歩きは絶対にいけない」と言われたのを覚えています。
ゲストハウスのオーナーは「沖縄は基地経済なんて嘘」と話していました。
宿では毎日何度も、航空機の轟音が聞こえて、屋内にいる目の前の人の声が全く聞こえないほど。
那覇から58号線(高速じゃない方)をバスで北上していると、
浦添市(キャンプ・キンザー)→宜野湾市(普天間基地、キャンプフォスター)→北谷町(キャンプフォスター)→嘉手納町(嘉手納基地)→読谷村(嘉手納弾薬庫地区、トリイ通信施設)とずーっと基地の景色がある。
その数とそれぞれの広大さには本当に驚きます。
そして、こういう景色が東側にもある。沖縄は小さい島なのに。こんなにも。
(沖縄の主な基地→https://bit.ly/2Xchi3e)
米軍基地問題については、一言で言えない複雑さがあると思いますが、ただ私は、もうこれ以上沖縄の人から沖縄を奪わないでほしいと思う。
沖縄の島と海は、沖縄のものだよ。
「人が人でなくなるのが戦争」というフレーズをよく聞くけれど、人は人だと私は思う。
人にも悪はある。人が全て善良なわけではない
けれど高度な知能をもった生き物人間には理性がある。それによって、制御されている悪意があると思う。
その理性が崩壊して、悪が増大するのが戦争(や犯罪)なんだと、私は思う。
そして、もう一つ、「人ではなくなる」のは、人が人として扱われなくなる(ひと一人の命が軽く扱われる)、そういう意味もあると思う。
沖縄を話すときに戦争のことはどうしても出てくる。それだけ目に触れる機会が多い。どこに行っても。
みんなを癒している美しい沖縄。その沖縄は、まだ癒えない深い傷を負ってる。
さて、この後はさらに北上してやんばるの地、今帰仁村を目指しますよ。
フクギ並木、今帰仁の海と夕陽がとても綺麗でした。
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