波照間島に着くと、宿のワゴンが港まで迎えにきてくれていた。

Copyright:Yuri Ito
@yurio_it

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同じ便で来た、他のお客さんたちと乗り合わせたら、みんなが女の子一人旅で、3人であっという間に仲良くなった。

あとから思い出しても、いいご縁だったと思う。いまでもあの子たちにありがとうって思ってる。本当に性格のいい子たちだった。

宿に着いたら荷物をおいて早速みんなで自転車に乗って島巡りへ!!

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最南端の碑

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ジャングルの中のカフェ

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ニシ浜

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自転車で半日あれば十分に一周できてしまうような小さな島。

たくさんの電柱、どこまでも続く畑、野ヤギ、野ウシ、どこにいても見える海。

開放感いっぱいで、一生懸命ペダルをこぐ。

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ここで、波照間島の戦争のお話を。前にもインスタで投稿したと思うけど、大事なのでもう一度。

沖縄で地上戦がはじまった時期に、アメリカ軍から直接攻撃を受けていないのにもかかわらず、島民絶滅の危機に陥ったのが波照間島の住民でした。島民が絶滅するって何が起きたと思います?

マラリアです。

当時、近くの西表島がマラリアの発生地としてすでに八重山の多くの人に知られていました。

そして、戦争マラリアの患者が、大量に収容(隔離)されてもいました。ここに本土の陸軍の兵士によって、強制的に移住させられたのが、波照間の住民でした。

マラリアにより島民の3分の1が亡くなり、残された方のほとんどがマラリアに感染したまま、終戦後、島に戻りました。

人間にとっていちばんの脅威は人間。それの最たる例が戦争だと、私は思う。

こんなにきれいな海を見ながらも、人は恐ろしいことをするのだと思うと、本当に悲しい。

だから、十分に楽しむ。ちゃんとお金を落として遊ぶ。

素敵な思い出をつくる。素敵な出会いに感謝する。

それをしっかり誰かに伝える。

そして来てもらう。

ここをみんなの好きな場所にしてもらう。

そうすることで守れることがあると思う。

そういうことが私にできること。

(旅行期間 2017年4月27日〜5月8日)