「下北沢」って住所はないんですよ。
このあたりは昔、忠臣蔵でお馴染みの吉良上野介(江戸城内で切られた方)が城主だった世田谷城の管轄で、「下北沢」の地名が歴史に出てきたのは明治以降。
今の代沢あたり(駅の南側)に下北沢村ってのがありました。
村って!!なんか下北っぽい。人が近くてご近所付き合いがあって。
わたしがいつもお参りにいく北沢八幡神社が村の中心。
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お茶の産地として栄え、ここで採れたお茶を、今の三軒茶屋にあったお店で出していたそうです。その頃から、下北と三茶は日との往来があったんですねー、感慨深い。
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関東大震災からの復興、鉄道普及があり、新宿渋谷に近い下北沢にはどんどん人が増えます。賑わう人やお店の増加、住む人も増えて、公共スペースの整備が追い付かず。
そしてできあがったのが、細い路地ばっかりのごちゃごちゃ下北沢です。笑
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北沢八幡周辺の代沢エリアは、大きな邸宅が並ぶあたりがあるのですが、かつては東条英機、佐藤栄作、竹下登も邸宅を構えていました。
下町が好きだったのかな。笑
また、北沢八幡の近くの代沢小学校では、作家の坂口安吾が教員として一時期を過ごしていました。今はもうないけど、南口の井の頭線沿いのビルに昔「安吾」という居酒屋さんがあって、春になると、井の頭線からも見える立派な桜の木が、お店の窓一面に見えました。
店主は「桜の森の満開の下」という坂口安吾の物語に魅せられた人かしら、なーんて思ってました。爆弾みたいなコロッケがあって、日本酒が豊富ないいお店だったなぁ。
東京大空襲であまり被害を受けなかった下北沢駅周辺。戦前の町並みを残した北口周辺に、戦後すぐに闇市が立ちます。
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ここがわたしの中で、ひとつ下北の象徴みたいな場所。いろんな人が流れ着いた場所。
この話は、また次回!
★参考「下北沢ものがたり」(シンコーミュージック・エンターテイメント)
☆下北沢はこれから街の真ん中に大きな道路ができます。いまのうちに、ごちゃごちゃ下北沢に遊びに来て見てほしいです!待ってるよ!
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